情報を食う食レポ
腹が減ったな……。
会社から出た途端、ひゅるりと冷たい風が小難しい仕事内容を吹き飛ばす。
おかげで今日の昼を抜いてしまったことまで思い出した。
うーん、この清涼剤ちょっとばかり効きすぎじゃないだろうか。
さて、二食分の飢えを満たしてくれるものと言えば何だろう。
寒いしラーメンか?カロリーと懐具合を考えると牛丼もいい。
最近ではチェーン店でお手軽に鍋も食べられるんだったか。
いいねぇ、モツ鍋なんて最高だ。
脂を吸い込んだ野菜を考えるだけでお腹ぺこちゃんMAXHeartだ。
となるとこの辺りでは……おや?
この店舗、てっきり居抜き物件なのだとばかり思っていたんだけれど。
古風な暖簾から零れてくる暖かい光、嫌いじゃぁない。
どうやらスナックのようだけれど、深夜テンションに任せた冒険。
いいじゃないか、子ども心がくすぐられる。
食事を求めている胃には悪いけれど、童心に帰らせてもらおう。
カラカラと扉の音を立てて足を踏み入れる。
古風な佇まい、壁に並べられた酒瓶、店内に流れる天城越え。
そうそうこれこれ、こういう雰囲気に憧れたもんだ。
「いらっしゃいまし~」
新しいお客に気づいたしっとりとした声で迎えてくれた。
薄桃色の髪を綺麗にまとめた、キラキラした瞳のママだ。
店の雰囲気に反して随分と若々しい。
それを凌駕する特徴は巨大な鬼ころしの瓶を抱えていることか。
まあそんなことは些細な問題だ。
「お外寒かったでしょう?ささ、こちらの席へどうぞ~」
唯一空いていたカウンター席へ招かれた。
意外や意外、店内の席はほぼすべて埋まっている。
近所で務めている私ですら開いているところを見たことがないのに驚きだ。
何かを注文するより先に、すっとお通しが目の前に置かれた。
なるほど唐揚げ1個に綺麗に揃えられたポテトが2本。
ほーそうきたか、こういうのでいいんだよこういうので。
「貴方、随分疲れた顔をされてますわね?ええと……田中さん?田中剛斗さんであってまして?」
こちらは名乗ってもないのにどうして名前が解ったのだろう。
ママの顔を見た所、その表情が面白かったのかふふっと笑われてしまう。
それそれ、と胸元を指さされて気がついた。
退勤済なのに社員証をぶら下げたまま外を歩いていたらしい。
近年稀に見るうっかりさんだ。
少々恥じらいを感じながらひとまず社員証をカバンに入れておいた。
「最近職場から、帰れなくて……」
あらまあ、と相槌を打つママに思わず自分語りを始めてしまう。
ここでポテトをひとつまみ。
油は喉を潤してくれる。何よりこの香りには敵わない。
「聞いてくれるかい、ママ。うちは自転車操業でさ……
来る日も来る日も残業続き。一つ終わったと思ったらまた振り出しに戻されて。
会社に属するってことはその会社の歯車になるってことなんだろうけど……」
このポテト、なかなか細い。
カリカリではなくあえてしけっているところもポイントだ。
思ったより強い塩味は心の涙が味付けになっているのだろう。
随分と疲れていたんだな。
「それでも昔は趣味があったんだ……ただひたすら走ることだったんだけどさ。
あの頃は走ってる時は寂しさを感じることもなかったんだ……。
なのに最近そんな暇もなくてさ……。
少し前まで、自分が走れないのならこの会社を走らせるぞ、なんて意気込んでたんだけど。
違うんだ、走るときはね、地面をしっかり蹴って空を駆けるようで……
なんというか救われてなきゃあだめなんだ
でもそんな走り方じゃあ、自転車は前に進んでくれない。気づいたら地下労働施設行きさ」
油をさしたおかげで舌がよく回る。
それにしても本末転倒だ。
腹の虫を鎮めにきたはずなのに、腹の中を吐き出している。
さてはこのママ、大変な聞き上手だな?
いいさ、吐き出したぶんあとでしっかり注文しよう。
「田中さんは責任感が強いんですのね」
ママの表情はちょっと悲しそうだ。
……そうなのだろうか、そうかもしれない。
この、ふにゃふにゃポテトのような柔軟性が欲しい。
そうなれば塩味は涙ではなく人生の荒波の味に変わっただろう。
このお通しにはそんな意味合いが込められていたのかもしれない。
もしくは、綺麗に2つ揃えられていたポテトを箸に見立てていたのかもしれない。
箸も爪楊枝も置かれていないから、多分そうだったんだろう。
そうなるとママの表情も意味合いが変わってくる。
ツッコミ待ちだったのか、非常に悪いことをした。
「そうだったらどれだけ良かったんだろう。
実際はただの惰性だよ、ママ。
だらだらと作業していたらいつの間にか時間が過ぎていた。
そう、ブレーキを踏むタイミングをとっくに見失っていただけなのさ。
時既に遅し、寿司特に旨しってやつだよ。
戦闘が始まってから初めて何の装備もしていなかったことに気付いた気分さ……。
だから沈みゆく泥船の上で、天から糸が降りてくる希望を求めているんだ」
どうやら舌のブレーキを踏むタイミングを見失ったらしい。
自分でも何を言っているのかよく解っていない。何いってんだ私は。
箸ポテトを食べてしまったので、素手で唐揚げを一口。
慣れ親しんだこの味……、具体的には学生の頃、よくお弁当に入っていた味だ。
何者にだってなれると信じていたあの頃が懐かしくも眩い。
なるほど、それを思い出させるためにあえて冷凍食品を出しているのか。
遠くからブーンと低い音が聞こえてきた。冷蔵庫が空いているのだろうか。
と思ったらExactlyと言っているのか、食洗機の音まで届く。
うん、わかってきたぞ……そうか、人生と推し活と私の関係はすごく簡単なことなんだ
「ママの言いたいこと、なんとなく解ったよ。
どれだけ望んだところで、結局のところ自分から動かなければ何も変わらない。
あの頃、何かに向かって駆け抜けていた情熱……大人になるまでに失ってしまったもの……。
それは解ってるんだ。解っていても動けない、これが大人が背負う責任なのかな。
笑えるよね、こうして夜出歩いて、お店に入ることはできるっていうのに。
ちっぽけな自分自身の望みを、すっかり疎かにしていたよ。」
そう、ママは教えてくれた。
自分の内にまだその声があるのならば、走れと。
そのためにも、少しずつでもいいから休めと。
自分のペース配分でゆっくりと、それが推し活なんだ……。
箸がなかったのはそういうことなんだろう。
箸がないから箸休め、ってね。
出した人そこまで考えてないって顔をされたってそう受け取ったのだから仕方がない。
「そろそろ戻るよ。
ああ、外の冷えは走るには丁度いいくらいだ……。
ママの瞳に酔わされちゃったみたいでね。
ありがとう、また来るよ。」
背中に三巡目の天城越え口上を背負って席を立つ。
あの頃の夢を、情熱を、思い出させてくれてありがとう。
お通しだけで人生の味わい、深み、思い出を教えてくれる。
ここはそういう場所なのか。
だからこれだけ沢山の人で溢れているのか。
スナックサロメ、★壱、十、百、千、満天サロメです。