夢見る配信者
気づいたら、そこにいた。
自分の夢ではない、とすぐにわかった。自分の夢はもっと脈絡がなくて、もっと恥ずかしくて、こんなふうに「意味が整っている」感じがしない。
暗い部屋の中に、画面があった。
宙に浮くように——Vtuberの配信画面があった。
コメント欄が右端にある。
チャットは動いていない。
同時接続数を示す数字の場所には、0と書いてあった。
その画面の中で、壱百満天原サロメが——
窓の外を、見ていた。
配信前の、静止した時間だった。
彼女は夜の外を見ていた。特に何を見るでもなく、ただそこに視線を置いていた。
それから——たぶんコメント欄を見た。
流れていない欄を。ゼロの数字を。
視聴者Aは、その瞬間の彼女の表情を——うまく読めなかった。
驚きでも、落胆でも、苦笑いでもなかった。ただ事実を確認する、静かな目だった。
ああ、やっぱりそうか。
みたいな目だった。
その目を見た瞬間、視聴者Aは理解した。
これはいつもの夢だ。 彼女にとっての。自分が初めて迷い込んだだけで、この夢は何度も繰り返されている。
「……まあ」
彼女は言った。
「静かですわね。では始めましょうか」
BGMが流れ始めた。ゲームが起動した。
視聴者Aはしばらく、ただ見ていた。
何かしたかった。声をかけたかった。でも——どうやって。
ふと気づくと、手の中にスーパーチャットの画面があった。夢の論理で、そういうものとして、あった。
視聴者Aは少し考えて、打った。
> スーパーチャット ¥500
> 「見てます」
送った瞬間、少し恥ずかしくなった。
コメントがダサすぎる。「見てます」って。
でも——
「……あら!」
彼女の手が、止まった。
コメント欄に、金色の帯が流れた。
「視聴者Aさま〜! いらしてくださったのですの!!」
名前を、読んだ。
それだけだった。それだけで——確かに、彼女の声が、一段、明るくなった。
「ちょうど退屈してきたところでしてよ〜! よかったですわ〜!」
嘘だ、と視聴者Aは思った。
退屈していなかった。誰もいなくても、彼女はずっと同じ温度で配信し続けていた。退屈など、していなかった。
でも——その「嘘」が、彼女だった。壱百満天原サロメという人の、返し方だった。
視聴者Aは少し笑って、また画面を見た。
それから、不思議な時間が続いた。
視聴者Aはスーパーチャットで話しかけた。彼女はそれを全部、読んだ。
> ¥200
> 「そのボス、左に避けると楽ですよ」
「視聴者Aさまはご存知でしたの〜! なるほど左ですわね!」
一拍。
「……あら、本当ですわ! なぜ教えてくださらなかったのですのもっと早く〜!!」
> ¥200
> 「指示厨は良くないかと思って」
「もう〜! わたくしが指示してと言ったら指示してくださいまし! って言ってなかったですわね、その点については謝りますわ! ゴメンアソバセ!」
> ¥500
> 「BGM好きです」
「わかりますわ! フィールドのBGM、ちょっと悲しいところがあるじゃないですの。そこが好きですわ。この世界が全部綺麗なわけではないことを、作曲家の方がよくご存知なのだと思って」
> ¥1,000
> 「今、素が出ましたよ」
このスーパーチャットは——ボス戦で三回死んだ直後に、送った。
「……っ、この動き、理不尽すぎますわよ〜〜!! ひどい! ひどすぎますわ!!」と、感情が大きく乗った瞬間の直後に。
「あらっ! わたくしはいつも素でしてよ〜! これがサロメですわ!!」
彼女は高笑いをしてみせる。板についている。
> ¥200
> 「声、変わりました」
「変わってませんわ〜! 気のせいですわよ!」
> ¥200
> 「気のせいじゃないです絶対」
「気のせいです〜!!」
断言した。でも——その断言の仕方が、どこか楽しそうだった。
視聴者Aはそれ以上追わなかった。追わなくていいと思った。
スーパーチャットは一方通行ではなかった。
お金を払って言葉を送る。彼女が読んで、答える。また送る。また答える。
川ではなく、静かな池のような往復だった。自分の石だけが落ちて、波紋を作る。そして彼女は、その波紋を毎回、楽しそうに見ていた。
> ¥2,000
> 「さっき、コメント欄がゼロだったの、見てましたよね。怖くないんですか」
打って、送った。
いつもなら、すぐ帯が流れる。
流れなかった。
彼女は喋り続けていた。「このマップの敵、絶妙に嫌な配置をしてますわね〜! 開発者に怒りのお手紙を書きたい気持ちですわ!」
……読まれなかった。
タイミングが悪かったのかもしれない。
視聴者Aはそう思って、もう一度打った。
> ¥200
> 「聞こえてますか」
流れなかった。
彼女は気づかずに笑っていた。「あ〜もう! ここのジャンプ、絶対おかしいですわよ! 判定が意地悪すぎますわ!!」
電波の問題かもしれない。夢だから、そういうこともある。
> ¥1,000
> 「サロメさん」
流れなかった。
もう少し金額を上げれば。
> ¥3,000
> 「聞こえてますか」
流れなかった。
なんで。
> ¥10,000
> 「サロメさん!!」
流れなかった。
コメント欄は、空だった。
数字は、ゼロに戻っていた。
さっきまであんなに鮮やかだった帯が——視聴者Aが送ったスーパーチャットが——まるで最初からなかったように、何一つ、画面に残っていなかった。
届いていない。
全部、届いていない。
視聴者Aはしばらく、スーパーチャットの画面を見ていた。
打てなかった。
届かないとわかって打てるほど、強くなかった。
でも彼女は、喋り続けていた。
「このゲーム、難しいですけど嫌いじゃないですわ〜! ちゃんと理不尽の中に筋がありますもの! 理不尽にも品格が要りますわよね!」
声のトーンは、変わらなかった。
ハイテンションのままだった。楽しそうなままだった。
ゼロの画面の前で——誰にも届かない声で——それでも、変わらなかった。
この人は。
誰も見なくなることを、知っていたんじゃないか。
最初から。この夢を見るたびに、ずっと。
それでも、こうやって——
視聴者Aは、しばらく迷った。
それから、一つだけ打った。
届かないとわかって。
> スーパーチャット ¥3,000
> 「見てました」
帯は、出なかった。
「……さあ、次のステージですわよ〜! 気合いを入れ直しますわ!!」
配信の終わりが近づいて、夢が薄くなり始めた。
輪郭がぼやけた。BGMが遠くなった。
彼女は配信を締めくくりながら、ふいに言った。
「……今日も楽しかったですわ〜!」
いつもの声で。
「また来てくださいましね! 待ってますわよ〜!!」
誰に向けて言ったのか、わからなかった。
誰にでもなく言ったのかもしれない。
どこかの誰かに言ったのかもしれない。
視聴者Aは最後に、もう一つ打った。
> スーパーチャット ¥500
> 「また来ます」
帯は、出なかった。
画面が、暗くなった。
視聴者Aが目を覚ましたのは、夜明け前だった。
枕もとのスマホを見た。
通知が来ていた。
【配信開始】壱百満天原サロメ
視聴者Aは少し考えて——イヤホンを取り出した。
スーパーチャットの画面を開いた。
何を送ろうか、少し考えた。
届くかどうか、わからなくても。
壱百満天原サロメは、今日も配信をしている。
誰が見ていても。誰も見ていなくても。
ゼロの画面の前でも、数千人の画面の前でも。
ハイテンションで、楽しそうで、変わらない声で。
夢の中でも、現実でも。
それが、彼女の選んだ生き方だから。
いや——
それが、彼女だから。
そして今夜も、どこかで誰かが——
あの夢に迷い込むかもしれない。
いや、誰一人迷い込まなくたって——
彼女は、喋り続ける。
fin.